九蟠から南山城村へ

岡山での引越し作業は、遅々着々と、進めてはおりまするが、なかなかです。

昨日も書きましたが、あっちこっち取り留めもなくかき回して、出てくるもの。

これは陶芸用道具。これは蕎麦屋の道具。これは自転車の工具(一日200卅っていた頃もあった)。これはデザインの用具(三角定規、自在定規、アナログ楕円作図機2万円などなど)。これはステンドグラスのガラスと道具。これはビーズ用のガラス棒。これは木工大工道具と木切れ。これは歯医者からもらった細工用電動ルーター。これは灯り製作用の部品製作材料と電線電球。これは廃船となったヨットのセールとロープ類(船舶二級免許更新せず無効状態)。これは木版画用の版木と様々な彫刻刀。これは時計制作用の針とムーブメント(昔100個セット買ったもの)。これは発泡スチロールカッター。これはKENWOOD無線機一式と無線傍受機(アマチュア無線技士免許期限切れ)。これはアウトドアー用品。これは陶芸釉薬用材料。これは書道用の和紙と下敷き筆大小(書道2級)。古いコンピュータユニット一式(これは真っ先に処分のつもりが未だに鎮座している)。二十数年前に絵の具皿に作った色が数十枚束になって袋から出て来ました。40年ほど前に描きかけの絵。20年ほど前に描きかけの絵。中学一年の時に描きかけた絵が今でも忘れられない、ヨーロッパの山の街の絵で、山の色が薄い赤紫でそんな綺麗な山に魅せられて描き始めたのですが、最後まで描いていません。と、そんな思い出まで出てくる引越し作業です。

などなど、この中から要るもの要らないものをより分けて、要らぬものは残して処分。要らないものはない、これからやっとじっくり時間をかけてもの作りするのです。

 

昨年、大阪福島の店を引き払う時、要らぬ物はだいぶ残してきた。かなりの断捨離ができたのです。

すると、相手の弁護士から、一切合切持って出ろとクレームが来ました。

要するに家を綺麗にして出ろと言う分けです。

ドッコイ私は、裁判では勝利者です。私が店を追い出される訳ではなく、あんな店はいらないから出て行くのです。とは言っても、法廷ではあくまでも、生きて行くために、あの店が必要であると陳情して、いかに私が被害者であるかを訴えなければなりません。否応無しに出て行く羽目になったと言うアピールです。そして、裁判で和解と言う事で、相手から慰謝料と出資金全額を勝ち取ったのです。

言われなき訴えを起こされて、逆に私が請求したのは、慰謝料、損害賠償、報酬(この内訳はまたいずれ詳しく書きます)、そして私が出資した全額。

和解と言う形でおさめたのには理由があります。それもまたいずれ詳しく。その和解書にはこう書いてありました。

1、被告は、店を○年○月○日をもって明け渡す事。残った私財に関しては、原告側がいかに処分しようとも異議申し立てしない事。

と、言うことは、文面からすると、要らない私物はゴミでもなんでも置いて行って良いと言うことなのです。

その事を、ボンクラな弁護士に言ったら、それからは一切の一言もありませんでした。

残した私財はゴミに至るまで、すべて原告が処分する事のなるので。屋根裏部屋から三階、二階、一階と動かせないほどの大きな物からゴミに至るまで、大人4人でも動かせないテーブルの天板。天井までの家具。腐った冷凍庫。そば粉だらけのワインセラーなどなど、あんなものは汚いし邪魔になって要らないので残して来ました。かなりの断捨離でした。

 

今現在、岡山のゴミの処分があれこれ規制があって大変で、物によっては廃棄料を取られるのです。

むやみに何でもかんでも捨てられないのです。要するに分別ゴミです。燃えるゴミ、粗大ゴミ、埋め立てゴミとこれらがいっぺんに出ますから。

そしてそれらの担当部署が違うので、それぞれに予約電話をして、結局持って行くところは同じ場所。ところが現場でもちゃんと理解していないみたいで、分別の仕方で物の大きさで、粗大ゴミか燃えるゴミかを混乱しています。あっちだこっちだと落語じゃないけど、役所のたらい回しそのもです。そして電化製品の廃棄が厄介で高く付く。テレビ一個3000円。冷蔵庫5000円。京都のマンションはテレビ一個1000円で処分してくれるらしい。場所によって値段だ違うのです。

 

上に列記した品々は、人から見たらゴミ?かも知れない。しかしこれからの人生で、いろいろしようと思ったら、すべて運ばなければなりません。長年放置していたそれらをもう一回整理整頓して、トータル的創作活動に役立てるのです。

本来なら、それらをボチボチやりながら九蟠で人生を全うするはずでした。老後のために探し求めた場所だったのです。今までの人生がすべて寄せ集められて、物が溢れてしまいましたから、今までで最大の引越し作業となっているのです。

天気のいい日は、ほのぼのと呑気な日常。陶芸もすぐに始める予定だったのですが、上記の物たちを一斉に移動しなければならないのです。

でも、最近やっと、転居先の南山代村に馴染んで来て、ここでの老後を模索しているところです。

 

天気のいい日に本を虫干ししながら箱詰め、昨日は雨だったので移動日として運搬。南山城村へ帰って来ました。

もうここは、帰ってくる場所。と、なりつつあるのです。岡山へは行くです。

今日は天気もいいし、車から作品の紙類を蔵の中に運び込みます。

この紙類が重たい。走行中はタイヤが破裂しないか心配で、かなりユルリ走行で走って来ました。

何しろ、ポンコツポンちゃんのタイヤが劣化していて、オートバックスからは、いつバーストしてもおかしくないタイヤだと太鼓判?押されていますから。

いやあ、ハラハラ状況ハラハラ人生。キワキワで生きてます。

 

あっちこっちから電話で、まだ引越し終わらんの?。と、言われますが、一般的家具などは無い代わりに、上記の細々道具類。書籍。焼き物の作品がまだ残ってます。何しろ4トントラック4台分の荷物ですから。もう一回頼まないとです。

 

先日岡山へ行ったらご近所さんのNさんから

嬉しい頂き物

ちょうど夕食どき美味しくいただきました〜

ごちそうさまでした

これです

ワタリガニ三杯頂いて

一気にむしゃぶり喰いました〜!です

いつもありがとうございま〜す!!

美味しかったで〜す

 

そしてこれ

スキーヤー?だった頃の私

今のように

モタモタヨタヨタ

ゲレンデの邪魔者ではなかった頃

こんな証拠写真も出て来ました

赤いのが私ですよ〜!

左へターン

体を伸ばして

右へターン

 

それはそうと

10年前運び込んだ

軽々持ち上がった段ボール箱が

すんなり持ち上がらない

無理すりゃ上がるが

ギクッと来たらおしまいだ

なんまいだ

いやあ〜おそろしおそろし

ソロ〜リソロ〜リと参ります

「そろりと参ろう」

昭和30年代のテレビドラマ覚えている人いますか〜?

以前書きましたが

虚無僧の姿で日本を旅する珍道中

このドラマの影響で

大人になって尺八を習いました

尺八吹いて世界を旅する夢がありました

鹿島千山先生お元気でしょうか

「デザイナー辞めて尺八吹きになったらどうか」

言ってくれたお師匠さんです

その理由の一つは

都山流の創始者初代家元と私の口が似ていると言う事でした

太陽が出ているので今にうちに

洗濯物を干します

ので

 

誤字脱字よろしくです

!?


さていよいよ

引越しにやっと本腰入って来ました。昔から尻に火がつかないと動かない質でして、とは言えまだ火は点いていませんがです。

なかなか手がつけられなかった、本に着手。

これが重たい。これからは田舎暮らしで時間もたっぷりあるだろうし、図書館も遠い。

昔、資料として買ったので様々なジャンルの本が揃っています。

乱読、積ん読、ちょっと資料でちょっと読み、まあそんな感じで熟読は少ない蔵書。

今、整理してみると改めて読んでみたい本がいっぱいあります。

まあ自分の感性で選んだ本ですから、嫌いな本はない。

デザイン専門書がほとんどですが、見てるだけで創作意欲を掻き立てられる、じっとしていられない気を起こさせるものばかりです。専門書と言えば、当時毎月毎月、本屋のセールスマンが持ってくる洋書。ほとんどが1万〜2万円以上。

ペラペラとめくったら欲しくなる。そんな本が山ほどあります。

今のところ、一番高い本が一冊48000円。これは日本の独特の文化”チラシ”。1980年のチラシの集大成。

チラシの仕事はしませんでしたが、日本の文化の一つと言うことで買いましたが、高杉新作です???。

 

コンテナ倉庫の中は

これでもだいぶ片付きました

 

新聞を取っていないので、最近はどんな折り込みチラシが入って居るか分かりませんが、チラシは独特なデザインの広告媒体です。

まあ、ほとんど捨てられる運命の媒体です。

しかし、スーパー全盛期の頃は、このチラシを見て、どこが何円安いと走り回った主婦たちがいました。

極端に言えば、自転車はもちろん、電車に乗って隣町まで、ガソリン使って車で、と走り周った。今の状況は分かりません。

今はオールナイトのコンビニで間に合わせると言った風潮で、スーパーが押され気味?

しかし、スーパーの安売りに対して、コンビニは定価で売るがコンセプトで始まった販売形態です。なので、コンビニは売る側は便利さを売って安売りはしない効率の良い商売という事で始まった商法なのです。

同級生のN君がとある大手のスーパーから依頼されて、まだコンビニがそれほど浸透していない時代に、辺鄙な団地の中にコンビニエンスストアを立ち上げて、地域密着型の小型スーパーとして、サービスに走り回って、軌道に乗せた事を思い出します。

私がコンビニを知ったのは、ダイエーがローソンを展開した頃からで、全国展開が始まったと思います。

今調べたら、最初に始めたのは1962年に多治見駅に国鉄弘済会がコンビニを開店したのが始まりのようです。

定価でしか売らないコンビニに抵抗感はありましたが、今では街にはコンビニが溢れています。

私は今でも極力コンビニは使わない。スーパーへ走ります。

例えば缶コーヒー500mlコンビニで140円前後。ディスカウントスーパーへ行くと60〜70円で売っています。もちろん同じメーカーの物。どうせ車で移動中には必ず缶コーヒー(無糖)買います。なので、1ケースとは言いませんが、まとめ買いで、出かけるときは必ずそれを持って出ます。

最近は水も買う時代。まさかこんな時代が来るとは、お茶もそうですが今の時代の当たり前の価値観にはびっくりです。

私は無糖缶コーヒーか水以外の清涼飲料は買いません。水でもディスカウント店で2L 40円台で買えます。

同じ銘柄でコンビニだと安くても80円台、高いところでは120円台。そしてもっとおかしいのは、500mlの方が高い事。

たかが水ごときに、大きいところで80〜100円の差にびっくりします。

消耗品やメーカー物の電気製品はできるだけ安い方が良い。

その点大阪はなんでも安い?。その代わり経済的地盤沈下疲弊が治らない?。しかし、外国からの観光客の爆買いなどで、多少物価も上昇中なのかもしれない。

ちょっと前大阪のスーパーで長蛇の列。何かと辿って見たら、卵ワンパック89円。

私が買い出しをしている頃は、火曜と金曜は500円以上買い物すると卵Lがワンパック89円でした。

チラシの話から脱線してしまいましたが、日本のチラシの文化は独特なのです。あのデザイン、レイアウトは昔も今も変わらない?変えようがない?詰め込みレイアウト。一瞥できないごちゃごちゃ感。その中からお得を探し出す楽しみ?があるのかも知れない。各店のチラシを見比べて、走るのです。

最近大阪を離れて暮らすと、そう言った日用品が何につけても高い。そのぶんカードで支払うと、ポイントが付くのでカード払いは増えました。先日も家電量販店でここ数ヶ月考え選び抜いた電化製品を買ったのですが、「ポイント使いますか?」「はい」で約半額で買えました。細かくポイントを貯めて、こう言ったところで物を安く買う。

今日、ツタヤのTポイント付きクレジットカード会社から、送ったクレジットが宛先不明で帰ってきました。と、連絡を貰ったけど、ツタヤ全く使わないし、全く使わないのに年会費500円も払ってた。どこで損してるかわからない?解約。ただしTポイントは残っている?ポイントの有効期限のお知らせがメールでくるのですが、どうも分からない。結局数百ポイントは毎回流れてる。各スーパーでもカード作りませんかと言われて、そんなの作ってたらますますわけが分からなくなる。ので今は作らない。生活が安定定着したら、それらを精査してシンプルにしたいと思っています。

 

戻りますが、この一品何十円の安買の積み重ねは、大きいと思えるほどの生活なのです。

先日買ったのは、ホットプレート。昔のものがあったのですが、最近頻繁に使うのです。

これ一台で、煮物、焼き物、蒸し物。一人暮らしには便利なのです。昔のは一体型で洗うのが大変。それで、鍋や鉄板の分離型が欲しかったのです。種類が多すぎて悩みます。そしてどれも一人暮らしには大きい。家電量販店に頻繁に通って、吟味した結果、今回買ったものに決めたのです。

今度の家は、オール電化にしようと考えているので、これ一台で生活できます。

そして、岡山と行ったり来たりで、これ一台持って行き来すれば、血糖値対策の蒸し野菜やノンオイル野菜炒め、鍋物に超便利。

 

ええっと、話戻します。引越しも大詰め。本は大阪運ぶ時だいぶ捨てましたが、この度もまた捨てます。

ほとんどが専門書や専門誌これが重たい。毎月購読の専門雑誌や季刊誌5〜6種類、そして年鑑書籍。これらを合わせると1000冊は優に超します。雑誌は捨てましたがそれを入れたら1500冊以上?

月刊専門誌も捨てます。創刊号からのものもあります。保存状態が悪いので捨てるしかないのです。古本屋へ持って行ってもデザイン専門書は二束三文が現実。

今回本を整理していて非常に残念だったのは、コンテナの物置の一番奥に入れていたダンボール箱。この箱には私の作品の掲載誌が入っていたのです。その箱一箱だけがシロアリの巣になっていたのです。他のものはともかく、なんでこの箱に?

まあ、それも運命。私の足跡は白蟻に蝕まれてしまいました。とほほです。

その頃どれだけ仕事をしていたかという、私が頑張っていた頃の痕跡も出てきました。

アシスタントと二人である年の年間売り上げ4千数百万円の申告書(申告分だけ?)。多い時で月に5百万円以上。B級?デザイナーですから、どれほどの仕事をこなしてたか?今思い起こしてもゾッとする程の仕事量でした。

そして、仕事をセーブし始めて、極力仕事を抑えて縮小し始めた頃に、妻が倒れ、バブルが崩壊し始めたのです。

バブルですが、こんなことが続くはずがないと逃げ腰の私でした。

周りは、どんどん借金(億単位)をして事務所を拡張して手広くやり始めました。私はどんどん縮小して店じまいを考えていました。

元々は、先々デザイナー稼業に見切りをつけて、次の人生を考えていましたから、スタッフも増やさず、少しずつ後ずさりの準備中に妻の病気発覚とバブル崩壊だったのです。

周りは、数億の借金を抱え右往左往、手を広げたところは事務所や家庭の離散の噂も聞きました。豪邸から借家住まいとか、中には行方不明や自殺をして後処理をした人もいました。悲惨が蔓延した時期です。一億総中流社会と言われた日本経済の崩壊です。

 

バブルの頃、大きく儲けて、手広くしたデザイン事務所の一番の儲け口はカタログ制作でした。カタログ全盛期時代とバブル期は重なります。聞いた話ですが、例えば800Pのカタログ1Pデザイン製作料下請けで5万円、元請けは10万だったかもです。一つの仕事で〜8千万円です。こんな仕事が何本もあったのですから、そう言う製作プロダクションはスタッフ数十人。不夜城と言われたデザイン工場でした。自社ビルも建てた事務所もありました。

まだ、カタログが日本では普及していない頃。「Mさんこれからはカタログの時代ですよ」と、とある人の紹介で、カタログを手がけました。ユニチカ関連で全国の組合員に対してのカタログ製作でした。これはレギュラーの仕事。安定と儲けが見込めます。しかし、量産体制の構えが必要になります。私は、デザイナーはいつ辞めてもいいと思っていたので、事務所の規模を大きくする気はありませんでしたし、カタログ、チラシはデザインではないと、ちょっとお高くとまっていたので、それらの仕事は毎月毎週レギュラーで旨味のある仕事でも、断っていました。もう一つ、不動産関連も断っていました。

あの頃は、マンション建設ラッシュで、SPツールのグロス製作で儲けた事務所も多くありました。

チラシ、カタログ、不動産の仕事は受けないが私のモットーでした。

そんなレギュラーは拘束されすぎます。そうでなくても、その頃私は代理店と合わせて直のスポンサー十数件抱えていましたから。夜も寝られない状況でした。それでもスタッフを増やして大きくすることなど、考えてもいなかったのです。

いつ辞めるか?考えていましたから。人に話したら、40で辞めるのは早すぎと言う意見でした。

まあ、そうこうしていたら、バブル崩壊でしたか。

 

本の山を見ると、当時のことを思い出してしまいます。今みたいにネットなどない時代、夜中仕事には、手近にあらゆるジャンルの資料が欠かせなかったのです。

バブル崩壊で仕事面では全く影響はなかった私ですが、とんでもない汚点を残すところだった、デザインとは関係ない危機一髪回避の出来事があります。その如何によっては今の私は存在しなかった。と言う、まあ恐ろしいことがあったのです。辛うじてすり抜けた事例です。

その件で、二人ほど巻き込んだかも知れない?しかしそれは、それぞれの自己判断自己責任であり、私が責められることは一切ないのですが、ちょっとだけ責任ではないけど、気にかかるのです。

私は布石を打っていたので助かった。と言うことです。まあこの話はバカバカしくもお恥ずかしい話。

このことは、またここで、参考のために書きたいと思います。どうせここは恥さらしステージですから。

 

そして、素手で戦った裁判の話も書きたいし。まあ、あまり関わりたくない事であり、普通は滅多に遭遇することはないと思いますが、経験者が語る裁判所通いの話です。参考になると思いますので、いずれまた…

 

大きな話から細かな話まで、毎度ながらのお見苦しいブログで、平にご容赦でよろしくです。

 

さて、引越し作業開始です。


深夜の柿の皮むき

夜な夜な目が覚めて、昨日京都のYさんから頂いた柿。

月曜日に岡山から京都の隠れ家まで帰って来て、Yさん家で食事会。

特別忘年会と言う分けでもなく、定例のお仲間が寄っての食事会に、京都人の仲間入りで参加させて頂きました。

みんなで手分けして、料理を手作り。ワイワイと昼食。それで終わりかと思ったら、なんやかんと雑談と元カメラマンのYさんの作品を鑑賞してたら、次は夜の部が始まって、呑まないYさんに合わせて、それほど皆さん呑まない、食べる会。

それぞれが腕をふるって、佐賀牛を使ったローストビーフ、丹後半島の郷土料理の箱寿司、おでんなど手作り料理。どれも美味しい。私はそば打ち趣味のYさんと協力して、そば打ち。音威子府の新そばと言う事でしたが、今年の蕎麦は出来が良いみたいです。

 

と言う事で、Yさんところにつるし柿用の柿が、トラックいっぱい?あると言う事でしたが、当日は自転車で行っていたのでもらわなかったのですが、翌朝、南山城村に帰ろうと思ったら雨。これは帰ってすることがない、柿もらって柿でも剥こうか、と思い立ち、Yさんの所に寄って、もらって来たのです。結局帰ってすぐにバタンキュウで、起きたら夜中。そんなことで、柿剥きが夜中になったと言う、長〜い前振りでございました。

 

先週岡山に行く前に吊るした柿が、いい感じで萎びていました。

それにしても、今回いただいた柿はニューハーフ?。

渋柿なのに、甘柿もなる柿の木?。中には、柿の実そのものが半分渋で半分甘い柿。まさにニューハーフ。

 

アメリカでは同性婚を認めているらしい。最近は日本でも、一部のお役所で「同性のパートナーシップ宣誓書」なるお墨付きを貰えるとのことです。そのためのお金が20〜30万円かかるらしい。

まあ、こういった世界のことは分かりません。しかし、昔々、おかまBARなどにちょくちょく行きましたが、普通のBARやスナックよりはるかに安くてサービス精神旺盛で面白かった。

おかま、ゲイ、ホモ、ニューハーフそれぞれに違いがあるようです。

テレビで活躍のこの手のタレント?ゲイ人?女装ゲイ人?改造ニューハーフ?ちょっとずつ違う種類の性同一障害の人たち。

それを武器にして、おおいにご活躍のようです。今やテレビ界の覇者?とも言うべき存在感。

 

と言う分けで?ニューハーフの柿をむきむき、世の中変わった?様々な人が蠢く社会と、思いを巡らしながら、夜な夜な柿の皮むく老人が、地球の片隅に居る。70億分の1を目指して?、我が人生。

地球上で真夜中、柿を剥いて居る人間が他にいるだろうか?ひょっとしたら、あんぽ柿などのつるし柿の産地では、今がまさに「柿入れどき」で、夜中も柿むきをして居るかも知れない。

ところで、地球の人口は70億人を超えて居ると言うこと、100億人を超えたら色々な問題が起きて、人類滅亡の危機となる。と言う話は聞いたことがある。食料問題、100億人が食べていける手段はないようで、70億人の今から40年間食べて行くだけでも、過去1万年分の農業生産よりも多くの食料を生産する必要があるらしい。これからは気候変動や土地の劣化や水問題で食料生産はますます減って行くらしいので、100億人は食べられない。今世紀終わりまでにはその100億を突破するとのことです。

まさに2030年人類滅亡説を予言した聖徳太子は正しい?かも知れない。2050年には90億人と言いますから、2030年には80億には達して居るかもしてない。あと13年。いくら我々団塊の世代が一生懸命?死んだところで数百万人。

今現在の高齢者人口は3296万人。日本は50年後は8800万人と減って行くが、世界の人口は増え続けていきます。

ヨーロッパもこのまま少子化が進めば、ヨーロッパ人はいなくなって、南からの多産系人種移民で埋まるらしい。

 

柿を向きながら、地球を考える?。考えながら、ネットで検索すると、パッと出て来て疑問解消。

先週、Tさんから頂いたコタツを出したら、もうコタツの虜になって、何をするにもコタツに座る。

 

さて、今日は、積んで来た引越し荷物を降ろして、また、岡山に行きます。

 

そろそろ、忘年会シーズン到来で、そろそろあちこちから、お誘いのメールが届きます。

元スポンサーのEさんからメールで「そろそろビールでも行きましょうか?」いやあ〜お久しぶりです。と、二つ返事。

そうかと思えば、忘年会の企画段階で仲間もめ。とか、もうこの歳になって、そんなこと、と、思うような人が居ることは情けない。まあ、文句言いはどこにでもおります。そう言うの、もう面倒臭い。

「何日何時どこそこで待ち合わせ、おいで!」と言う、シンプルな忘年会のお誘いもあります。

今のところは私自身が企画できない状況なので、人任せ。お誘い頂ければ、タイミングさえ合えば、喜んで参加させていただこうと思います。

それでも、毎年思うことは、年末と言えども、気分的にはさして変わった事もなく。平坦に一年が過ぎて行く。

昨年と今年は人生の長い小休止。有効なブランクと考えてのんびりと過ごさせて頂きました。

あくまでも、2年続きの引越しがメインですが、たまの作業で、延び延びに伸ばしてダラダラ引越し。

来年からが第四の人生の開幕。デザイナー人生、陶芸人生、そば屋人生。そして、ここ南山城村で何が出来るか?未知への期待と楽しみ。しかし、6万円の年金暮らし、自然の中で、自給自足?と思っていたら、ここ南山城村に来てみたら、ライフラインなどインフラ料金が高い?。

しっかり住んでみないと分からないですが、伊賀上野で南山城村に住むと言ったら「あああの水道代の高い所」と、開口一番言われました。水道代が高いのは有名らしい。そして浄化槽管理費もそこそこかかるみたい。電気代も高いような?。

そして、野菜も大阪に比べたら高い。が、さすがに新鮮。長持ちする。そんなこんなで、田舎サバイバルを考えないとです。

長年住み慣れた大阪は、やっぱり何につけても安いと改めて思いました。

 

と言うような事で、ここでの生き方を模索して居る今日この頃でございます。


少年の53年後の今

先週3日の日に、近況の報告をバタバタとここに書き込んで、車を走らせて、岡山に行って来ました。

目的は、3回目の同窓会の打ち合わせ。今回は同窓会で上映するDVDができたとの事でその試写会。

校歌の楽譜もないとの事で、演奏担当のSさんも困っていたみたいです。

学校にも校歌の楽譜がない?との事。ちょっと意味がわからないのですが、DVDには電子ピアノでのBGMは入っていました。

卒業アルバムを複写して構成しただけのDVDでしたが、世話人8人は盛り上がりました。

遠方から来る人のために今回は泊まり込みの同窓会。地元の同級生も可能な人はお泊まり。

先日来。卒業以来会っていないA君と、頻繁にコンタクトをとって長い長いメールのやり取りをしていました。

A君は群馬県で林野庁の国家公務員でしたが40歳で退職して、草津温泉の観光協会に務めて定年退職。

この卒業後53年間の人生を聞いて、面白い体験をいっぱいしたみたいで、また同窓会で話を聞くのが楽しみです。

みんなそれぞれに68歳の歴史があり。中学の時のみんなとの思い出と、その後どのように生きて来たか。非常に興味があります。A君の現在は、定年後群馬県から広島三原に定住、”裸の島”の伝道師。

 

日頃から、年に数回会う同級生は、お互いに全てを知っている。しかし、なかなか会えなかった同級生と会って、その空白の時を聞くのは楽しみです。

お寺の檀家の総代を務めるH君の話もおもしろい。H君とは同窓会の世話人会で会ってから、頻繁に電話を掛け合っています。娘さんも巻き込んで連絡しあっているのです。H君の携帯がガラ携なので、画像は娘さんのLINEに送る。と言った具合です。

時々娘さんからメールが来たりして、最近はそんなこんなで、半世紀昔の青春にタイムスリップ。

中には連絡先を探して、実家に電話をしたら「数年前に亡くなりました」と悲しい報告もあり、分かっているだけで男子6人が亡くなっています。女子は不参加の理由がわからない人が何人かいます。しかし死亡報告は無い。ただ仲間だった女子二人が、一家離散と言う家族もあったりして、女子の波乱万丈人生も気になる、同級生の順風満帆も波乱万丈も。

案内状に全く無反応な女子が一人いて、同窓会世話人代表のK君が首をかしげていたので、小学校の同級生のKさんが、その女子と繋がっていることを思い出して、昨夜電話してみたら、Kさんもここ20年ほど会っていない。名簿の住所には旦那がいるだけでSさんはそこにいない?。と、要領を得ない。と言った具合で、結局どいしているのか分からないとの事でした。それぞれの事情があるようです。

 

以前にも書きましたが、私は、学校や先生には全く興味がなく、同級生との思い出数々に救われて生きてきた。

まあ言ってみれば、学校や先生には背を向けた歪んだ青春だったとう事です。

 

同窓会には行きたくないと言っていたI先生を説得するために、H君を説得係にして先生宅に訪問させたのは正解でした。

H君が先生を送り向いする事、H君は酒が飲めないのでちょっどいい運転手なのです。

そして先生の都合に合わせて、同窓会の日程は決まりました。先生もお元気そうで何よりです。

同窓会に招く恩師はやっぱり三年の担任。となると、40年務めて、何回三年の担任になるか?最高でも40クラス。半分で20クラス。まあ、いちいち同窓会のたんびに招かれてたら、もういいとなるのかもしれない。

 

我々は、先生が教師になって初めての担任と前回の時に聞いた記憶があるのですが?そして一番記憶に残っているとも?

そんな分けで、一通り準備は整った。と言うところで、先日の同窓会世話人会は大いに飲んで。私は久しぶりに記憶が飛んでしまいました。

 

同窓会世話人会?代表K君は郵便局定年退職。F君タイル職人で町内会長、家族全員で朝夕新聞配達40数年、体型全く変わらず。N君ペプシコーラから地元のガソリンスタンド店長定年退職後家業の豪農を引き継ぎ農業。H君岡山県貨物で全国各地で活躍して役職に付き退職、兄弟でペンキ屋経営退職後、婿養子先の豪農を継いで数百万円の大型コンバインを操って手広く農業、村のお寺の檀家総代(高野山繋がりで私のデザインした”月のしずく”と関連付いた )、そして、岡山県内の裸祭りでは数カ所の寺で宝木を掴み取った福男。もう一人のK君大手丸大食品終身雇用時代の申し子?、国内外各所工場勤務、現在もそのスキルゆえに退職叶わず、後輩の育成で地元の工場勤務を余儀なくされている。女子Tさん朝夕新聞配達40数年、昼間は別の仕事と掛け持ち仕事働き者。Aさん専業主婦?そして、今回の世話人会には参加なしなかったが音楽担当、Sさん教授を経て現教育委員長。そして私はボヘミアン。

 

私、遠いところからわざわざこの会に参加しなくてもいいのではと思うのですが、参加したかったのです。

 

それにしても、今に始まったことではないが、最近の物忘れは激しい、”終身雇用”と言う言葉が何としても出てこないで、困りました。もともと、語彙貧困症なのにこの上、健忘症がくわって、そのうち認知症へと繋がっていくのでしょうか?恐ろし恐ろし。

 

そういえば宮部みゆきの「おそろし」と言う小説がありました

岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ(岡山方言”とても怖い”)」もあった

どっちも読んだけど忘れました

 

何しろ?”ぼっけえ きょうてえ”世の中ですから

次々と9人も

ここに居ますと指差したクーラーボックス9個

これはもう小説を超えている

江戸川乱歩ものけぞるような猟奇事件

 

まあそんな事より三年B組同窓会

♪友達がいて 僕がいた♪

ちなみに

A君の親戚が地元出身

小説家阿部知二

そういえば

我々の中学の遠い?後輩が「バッテリー」を書いたあさのあつこ

とか

どこそこの誰それがどうした?とか言いだしたらきりがない

人類皆どこかで繋がってる

「人類は みな兄弟」

と言ったのは笹川良一

この人とはなんの繋がりも無い


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