井上揚水

三、四十年前、私はバリバリ?、デザイナーでした。もちろんアナログ時代です。

言ってみればアナログ時代の終わりが、私のデザイナーの終わりだったと言うことかも知れない。そして同時にバブルの崩壊です。

急激なハイテクの進化が、時代の流れを変えたのか?  べらぼうに高いコンピュータシステムの料金を払わされた我々アナログ時代のデザイナー。 便利になることを信じて、高いコンピュータシステムのリース料金を払い、当時のデザイナーはマック貧乏と言われる程でした。私は早々とコンピュータ頼みを諦め、PCがないと仕事にならないのなら、アナログと一緒に時代遅れでも良いと言う覚悟でした。ある意味デザイナーに見切りをつけた。と言っても過言ではない。早々に田舎に篭り陶芸家?を目指して作陶に励みました。当時は、バブル崩壊に加えて、阪神大震災の打撃は、各方面に悪影響を及ぼし、関西の経済的疲弊が始まったと思います。

バブルの頃に、大儲けをした画商や骨董美術商が軒並み閉店に追い込まれ、同時に陶器類も売れなくなってしまいました。

私が作陶を始めた頃は、辛うじて今までの付き合いのあった方々に買っていただいたり、各地の陶器市に出店して売っていましたが、個展では身内頼みで、皆さんにご迷惑をお掛けしたと言うことで、子供達が成人したと言う事もありますが、個展はやめたと言う経緯ありました。また100均の出現も、物が売れなくなった原因でもあると思います。

そして世の中の公募展の裏側も分かって来た事もあり、創作では喰えない事もはっきりしたと言う事です。食う為に組織との関わりは、どの俗世界となんら変わらない事も、その関係者からも聞いて知りました。

 

そうそう、井上揚水ですが、一昨日一日中、松本清張没後二十年記念シリーズのサスペンスドラマを立て続けに観ていて、ちょっと気が滅入ってしまい、気分転換に、昔仕事中によく聞いて居た、井上揚水を久しぶりに、聴いていたら、現役デザイナー時代の頃を思い出して、懐かしく、昔の古いアドレスから、むやみやたらに電話をかけていたのですが、あ、そうそう、陽水を聴きながら、ワインを一本空けたこともあって、なんと無くセンチメンタルジャーニーと化した私は、かくして電話魔。それも、三十年四十年昔の電話が繋がっているかどうかも、分からない様な人たち。その中でヒットしたのがTさん。私が名前を告げると、すぐ返事が返って来ました。

「おおお!懐かしい。何十年ぶり?今から飲み行こうや」と、いきなりです。

「いやいや、僕は京都ですし、この時間」

Mさんは当時から、阿倍野界隈なので、固定電話が繋がったと言う事でした。

「じゃあ明日一杯やりましょか」

と言う事で、即決。Tさんは私が蕎麦屋をしていた事も、岡山に篭って作陶をしていた事も知りません。

私がまだデザイナー現役の頃の、とあるBARの飲み仲間。私がカメラが趣味と知って、写真を見せて欲しいと、事務所に来てくれてその後、BARも移転したりで、会う機会が無くなり、それ以来の再会でした。

三十数年です。JR京橋下で待ち合わせでした。私はTさんをすぐには分かりませんでした。

Tさんが私を見つけて、声をかけてくれました。おおお面影あるある。お互い髪は真っ白ケ。

何しろ三十年前ですから、お互いに年食ってます。Tさんは色々な話題になる素材をバックから取り出して来ます。

今は音に凝っているとかで、スピーカーの話やら、雅楽の横笛も持参、そして口琴までも、どれも私の趣味に合います。そして今、クラシックにもハマっているようで、話は尽きません。Tさんは私が陶芸を始める前から、陶芸家で、今も陶芸教室で教えているそうです。三十年の空白は、あっ言う間に縮まって、楽しい6時間でした。

ところであの居酒屋、6時間も居座って、全然変わらず愛想の良い女将さんでした。いやあ恐縮です。あんまり酒もおつまみも頼まず喋ってばかり居て済みませんでした。私も商売人ですから……

 

ところで、先日月ヶ瀬梅林へ行って来ました。まだ七、八分咲で、あと少しでした。

Tさんとの待ち合わせ場所が京橋でしたので、ちょっと早めに出かけて行って、大阪城梅林に寄ってみました。

思った通り、梅はすでに花は盛りを過ぎて、萎れた花や腐った花。被写体としては最悪の状態でした。

連休とあって、公園内はマラソン大会や何かで、多くの人で賑わって居ました。このところの運動不足のために、歩き廻って居たのですが、ちょうど昼時で、Tさんとの待ち合わせ時間までには3時間もあります。取り敢えず、近所の行きつけのトンカツ屋さんに行って、三十年以上食べ続けている、ヒレトンカツ定食とビール。

それから、京橋まで歩き、さすがに朝8時くらいから歩いているので、疲れました。どこか休むところは無いかと、昔お世話になった京阪モール。ここは20代の頃、約十年ほど広告の仕事をさせていただいたスポンサー、その頃とはだいぶ趣が違います。

お客さんもいっぱい入って賑わって居ました。おしゃれな店がいっぱい入って居ます。所々に、自由に座れる椅子が置いてあって、そこに腰掛けて休憩させていただきました。時計を見るとまだ待ち合わせまで、2時間以上あります。さてどうしようと思ったらウトウト寝てしまいました。バックとカメラをしっかり抱えて。目が覚めたら、Tさんとの約束の時間10分前。


ストレス

またしても、ちょっと先輩(歳が先輩でなんの関わりもございませんがです)の、渡瀬恒彦さんが亡くなった。

テレビドラマ「おみやさん」や「十津川警部」は昼の再放送では馴染みの俳優さん。72歳。

兄渡哲也よりはるかに、自然な演技で好きだった。

今日も普通に「おみやさん」観ました。キンキラキンの兄とは違って、まさにいぶし銀。

2015に癌を患っていたそうですが、それからもたんたんと俳優業をこなして、私はずっと昼の再放送を観ていました。

私にとっては、72歳と言う4〜5歳歳上。そう言った近い年齢のメディアでの馴染みの人が亡くなっていく。

阿藤快さん69歳。誕生日にある意味突然亡くなった。余談ですがそう言えば、坂本龍馬も誕生日に暗殺されて亡くなった。

そんなこんなで、最近同世代の著名人達が亡くなっていく。

幸いにも、最近は身近な友人の訃報がない事は救われる。私が60を過ぎた頃は立て続けに訃報が届いて落ち込みましたが、考えてみたら、年齢的節目を越えた辺りからの訃報をよく聞く。42、52、62、72、82。これを過ぎるとまあ大丈夫?

不吉な数字です。大台を超えたと精神のゆるみなのか?全く関係がないとは思えない。

最近のある記事で、ストレスが病気の大きな原因と書いてありました。

 

私は以前にも書きましたが、胃痛、頭痛そしてストレスを感じ無い。昔からプレーッシャーは感じるけどストレスは感じない。

そして、ストレスがないから、胃痛、頭痛がないとも言えるかも知れない。

プレッシャーこそが、やりがいと思って生きて来ました。とはまたオーバーな表現ですが。

昔は全てがプレッシャーで、でもストレスはなかった?鈍感?麻痺?

プレッシャーの全てから逃げて、と言うより交わしていました。そして、その頃、私は逃げない人間改革をしたのです。

そして、そのプレッシャーの一つ一つを自分なりに受け入れて、噛み砕いて咀嚼し一つ一つ取り込む事で、プレッシャーから開放された。と、私は思っています。年齢的経験がそれらのプレッシャーを薄れさせていくと言う事もあると思います。そのプレッシャーにあえて甘んじて浸る。そう言った自虐的Mの精神で、あらゆるプレッシャーと闘う日々だったのかも知れない。

人はよく、歯が痛い時に、身体の別の何処かを抓って、痛さを分散すると言った事をします。

自分のプレッシャーも何か他のプレッシャーで和らげる。それは死です。

私は、何かにつけて、死と現実を計りに掛けていたと思います。

もし、死んだと思えばどんな事でも出来る。どんな恥じでもかける。自分を無にする事でプレッシャーから逃げているうちに、プレッシャーを感じなくなった。そして、ストレスも感じなくなった。

 

ただ鈍感と言う事も言えますから。私の言っている事はまあ、アテになりません。

ただ、言える事は、”虎穴に入らずんば虎児を得ず”だと思うのです。

虎穴は自分の中にもあります。自分を知る事はある意味恐い。自分の能力の無さや弱さや劣るところを見たくない、知りたくない。認めたくない。しかし、この世に完璧な人間は居ない。外的には非の打ち所のない人物でも、何らかの非や負の部分を抱えている?かも知れない。

それを隠そうとすればする程プレッシャーとなる。と言う事も考えられます。

そんな事を考えたら人は皆、気楽になるのではと思います。それでも、そんな弱みを見せていたらこの世は生きていけない。戦々恐々の世界で生きている人も多いと思います。そこで、精神の強度の問題が大きく影響して来ます。

権力や金の力で鎧を作ろうとします。そう言えば学歴の鎧を着る人も多く居ます。ま、それぞれで良いのですがです。

この鎧が人間関係に大きく邪魔をします。心を晒して生きる人は考えも柔らかい。素直です。

鎧を着た人程頑固です。頑固のガンは癌に繋がる?頑固もストレスに繋がる。

頑固は、拘りに繋がる。良い仕事をしようと思ったら拘りでないと。とも、思うのですが、まあ、自己満足と言うのもあります。

鎧を着た人程。名誉に拘ります。その地位を不動にする為にまた、プレッシャーを生み出し、そのストレスの逃場が内に籠り鬱になる。

そして、プレッシャーのストレスを外に向けて発散する者は、周りが大小の被害を被る。

 

先日観た映画「深川通り魔殺人事件」実話を元にした映画で、プレッシャーのストレスを外に向ける、典型的タイプの主人公。

自分の弱さを、強がりで隠そうとして、余計にストレスとなって、被害妄想に陥り。犯罪を犯し続ける。

そのプレッシャーの素はコンプレックス。コンプレックスは極めて内面的自分にしか分からない。自分の弱みと感じるところ。

コンプレックスから生まれる自信を無さ。そして、恐さに繋がる、だから無闇に攻撃的になる。

スキーで言えば、怖がれば怖がる程怪我に繋がる。何は無くても筋肉と自信があればどうにでも滑れる。恐怖こそが怪我の元。

ただし、自動車の運転には、恐怖こそが安全運転に繋がる事も考えられます。

 

恐怖は自分が攻撃的であるから、他人も同じと考えて、自分が先に攻撃する。

頑固な自己防衛本能は他人にははなはだ迷惑な、言いがかりとなって、その被害者となってしまう。

 

ええっと、ストレスは身体に影響すると言うのが記事としてありました。

で、ストレスはどこから生まれるかを考えてみたのですが、私にはストレスがない。

なぜ、無いのか?自己分析してみたのですが。それは子供の頃に培われた精神の強靭?さかも知れないと?

ストレスが精神的プレッシャーから生まれるとしたら、根底に精神力気力の強さが必要となります。

ただ、プレッシャーには弱いが、打たれ強い、くじけない精神。弱体化した精神の回復力?

条件、状況、生立ち、これらが人間を複雑化する。皆同じで皆違うところ。

 

ストレスとプレッシャーを考えてみました。時間の無駄をしたかしないか、ま、どうでも良い事です。(しかし、皆様には無駄な時間)

それぞれの自我。自己啓発の為のその元になる自我。それを考えたら余計にストレスが溜まる?

かと言って自分から逃げていては、何も生まれない。一番厄介なのは自分かも知れない。

自分を知らない人間は他人をもっと分からない。

自己分析が出来ていない人間は盲目的人間が多いと思います。周りが見えないで闇雲に動いている様なものですから。

まあ、殆どの人が、自他共によく観察して生きていると思います。

それでも、先日、トンでもなく誤解されていた事を知りました。他人の事は分からない、と言う事と自分がそうであるから、他人もそうだと言う、間違った他人分析。自分と同化した考えの驕りです。私は20代の時に指摘されて気付いた。自分がそうだから人も同じと思う、周りが歪んで見える事は、自分が歪んで居ると言う事?

 

自己分析の必要も無く生きてこらた、精神の持ち主と、精神がすり切れるまで自己分析する必要があった人間との違いは大きい。

まあ。そこで、ある種。他力に頼る。根拠のない神頼み。根拠がないから全てを委ねられると言う事もある。

だれも、否定も肯定も出来ないモノ。信じれば有る。信じなければ無い存在こそが神。

信じたいと願う人。目に見えないモノは信じない人。

神秘をリアルに現実のモノとして暴こうとして、人間は進化発展してきた。神に捕われていたら、人間の進化は無かったのではとも思います。神に背を向けた人間は神業を新たに産んだ。そして、神のなせる技と信じていた事を、人間は成し遂げつつあります。

進化しないまま生きる原始人的、神に支配された?人間の営みも、地球上には存在する。

科学、文明は神の存在を希薄にした。が、神ではなく、人のストレスから生まれる不安につけ込んだ、生き仏の理屈が生んだ、新宗教も今の病んだ現代人に染み込んで存在する。自我から生まれるストレスからの逃避。

ストレスは外的な影響でもあるが、その外的影響に自分が対応出来ないからストレスになるのではとも思うのです。

心の柔軟性の問題かも知れない。頑固になればなるほどストレスは溜まる。

人は、外と内では違う面を持っていると言う常識?。外面と内面とが同じ人間は殆ど居ないのではと思います。

それは、組織に守られて生きていられる人は、外面でしか生きていけない訓練がされて、それが自然となっている。そのギャップもストレスの原因にもなるのではとも思います。

それによって、人間は麻痺する動物。普通でない事も普通として納得して生きている。

普通は世間の常識ですから、世間一般から見ると、普通でない人はけっこう居ます。自分に気が付かない普通でない人。

得てして、公人や一般的に偉いと言われる人や金持ちによく見られる普通でない人。

ただ、こうした人達だけでは無い、逆の立場の普通でない人も多く居ます。

極端な人は、やっぱり、普通じゃなくなるのでしょうか?。”鈍すりゃ貧する”とも言いますから。

清く正しく普通に生きる事は並大抵ではないと言う事。極上極下人生ではどちらもストレスが溜まる。

幸せ過ぎても不幸せ過ぎても、”過ぎたるは及ばざるがごとし”何事もちょうど良い塩梅な人生はなかなか難しいかも知れない。

 

全ては、考え方の問題、問題はストレスの始まり。問題を問題と思わない考え。

問題は答えを出す為に考えるテーマと思えば、その問題を導き出す為に考える事は、想像力です。

始めから答えのある問題は、入試問題くらいのもですから。

答えのある問題を解かされる程骨折り損はない。答えを越えて次の問題を見つけてこそ人間なのです。

記憶は過去への逆行。想像は未来への進化と発展。

人は過去を全て記憶すことは出来ない。記憶よりもっと大切なのは知る事。

知ってインプットされて残る記憶こそがその人間の特色であり個性。現代社会は個性を潰し、一歯車を製造しているに過ぎない。

いよいよ、これからの世の中は、歯車が必要なくなる。

人間の記憶をはるかに越えた人工頭脳と、人間をはるかに越えた、間違いのない働きをするロボットがこれからの歯車になる。

 

人間はどう育っていけば良いか?これを早く知った人間が生き残るのではと、思います。

それを判断するのは、人間。人間が人間を判断する基準は、記憶力を試す事しか出来ない?と言う事?

個性に合った知る事が、その人間の一番良いところを育てるかも知れない。英才教育。

自分の一番居やすいところに居れば、ストレスも溜まらない。

無理して、世間の価値観に振り回されて、自分の価値観を見失った人間は病気になります。

現代病として蔓延している鬱は、自分の居やすいところに居られていない事が原因なのではと思うのですが。

親の価値観、世間の価値観に翻弄されて、自分に素直に居られないストレスだと思います。

 

スロレスは身体に影響する。現代人の病みとしてすでに証明されています。

その親は、今、後悔の念に悩まされているはずです。自立出来ない人間の増加です。

 

心を育てる事を忘れた日本総中流社会。ま、どの世代にもトンでもない人間はいますから、答えは一つではない。現実。

しかし、大きな波。統計ですか?データですか?人工頭脳は一瞬にして人間を見抜くかも知れない。そして、人間は敗北。

人間は完全に支配下に置かれます。しかし、人間には隙間があります。

ドット、画素の隙間。感覚。う〜ん?この感覚も人工頭脳は会得しようとしています。

こころ、人間の心も曖昧ですから、確固たる善悪の判断も人工頭脳が裁くでしょう。

人間が人間を必要としなくなる世の中が近い。セックスをするロボットが近いうちに出来るらしい。

さて、いよいよ、人間の本能まで人工頭脳に支配されます。

 

人間の存在の意味?

1%の富裕層が世界の半分以上の資産を握っている現実。その人達はクローンで自分を作り。冷凍人間になって、地球脱出。

 

ストレスが溜まりそうなので、この辺で妄想を止めます。ああ〜あ疲れた。

 

まあ、兎に角。生きているうちが花。考えても考えなくても。食べていれば生きていける。

「生きてるだけなら、犬でも生きてる」と、友人N氏は母上に言われたそうです。

 

もし、働けなくなって、食べる事も出来なくなったら。役所に行きましょう。這ってでも生きましょう。

生きる意思が無くなったら、それはそれで、死の瞬間が最高のエクスタシーとの事らしい。

セックスの時に脳に分泌される快感物質が。死の瞬間に全て脳に放出されて、その数十倍のエクスタシーを感じるらしいのです。

かと言って、だれも経験した事が無いわけで? ただ、ヘタな宗教信じるより、それを信じて死の恐怖を和らげる事は良い事です。

ハハハハハのハの話として、科学を信じるか、神を信じるかはあくまでも個人的趣味の問題。

 

その前に、プレッシャーやストレスに打ち勝つ自分を育む事も必要かもです。

 

また、書き始めたので、ここで止めます。


カメラ

今のところ、私が何をしているか?と言いますと、これと言って何もしていません。

強いて言えば、被写体探しの毎日、眼に入るものを如何に切り撮るかを楽しんでいます。カメラは常に離さない。ただ人物は撮らない。ましてや自分も撮らない。

最近は自撮りとか言うのが流行っていますが、ニッコリ笑って、一人で撮ってる人、よく見かけます。

おじさんのそれは、ちょっと気持ち悪い。女性の場合は、ちょっと侘しい。

 

30年ほど前に日本で生まれた自撮り棒。その頃は全く受け入られず売れなかったそうです。

自分を自分で撮ると言うのは、抵抗がある。ちょうど我々が20代から30代頃ですから、その頃はそんな事は気恥ずかしい。孤独は恥?的気質、他人に寂しい姿は見せられない。自己陶酔型自意識過剰を世間に晒せない。セルフで自分を一人で撮ることもなんかためらう客観的姿?

その頃は、そんな事もあって?かどうか、自撮り棒は時代的に早すぎた。と言う事だったのでしょう。

ミノルタが日本とアメリカで特許申請。

アメリカでは、日本人はおかしな物を作るものだと、笑い者にされ、相手にされなかった。

2013年頃インドネシアで流行りだしマレーシア、フィリピン、日本、韓国で流行り、世界中に広まったと言うことの様です。

自撮り棒で仲間で撮ってる分には、まあ微笑ましいと思いますが、一人で自撮りは、見ていても、どうも抵抗があるのは私だけでしょうか。

 

梅田で若者に、引っ掛けられました。

久しぶりに寄ったBARから出たところで。

「おじさん、そのカメラで僕らを撮ってよ」

「ええ、これで君らを撮っても、しゃあないなが、じゃあ、君らのスマホで撮ったるワ」

「おじさんの、このすごいカメラで撮ってよ」

「こんなの、全然すごくはないで、安物のデジタルやから」

「ニコンやしいいカメラやないですかあ、ところで、おじさんこれから一緒に呑みに行きません」

「いやいや、これから京都まで帰るから。ところで君ら何歳?」

「僕ら22歳。これから僕ら医者になるんです」

「医者?医者か。医者不足とは言え、それは今だけで?将来は余るようやけど?」

「医者ダメですか?」

「いやいやダメな事はないけど、地方じゃ医者が足らんのんと違うか?どの業界も同じやけど、資格社会も飽和状態でアブれる人間もおるちゅう事みたいやけど、弁護士、司法書士、特に歯医者なんかはコンビニより多いと言う話やろ。どんな国家資格でも、それを持ってるから言うて安閑としてられへんでええ……」(こんな事言った様な?だいたい?)

この青年らにちょっと興味があって、一緒に呑みに行って、もう少し話を聞いみたいと思ったのですが、すでに昼から飲み会二件こなして、最後の締めがBARだったので、断りました。

「おじさん、あの子どう?」

青年たちが指さす方を見ると、バス停で若い女性が立っています。

「おいおいあかんで。千葉の医学生の婦女暴行事件知ってるやろ」

「あああ知ってる、その問題で大学から話だあった」

「じゃあ僕は帰るワ。バイバイ」

酔っ払って視力が低下した私には、スーツ姿の好青年たち三人と思っていました。

それにしても何で?私の様なジジイに?

事の発端は、私が首から下げたニコンのカメラが話のきっかけでした。

 

で、彼らと別れ際に、

「じゃあ、写真撮っとこうか」と、シャッターを数回押したのを思い出して、今確認したら、酔っ払ってて、あんまり目が見えていなかった私は、スーツ姿だと思っていたら、私の思い違いで、彼らの服装はラフは格好でした。

 

改めて、彼らの顔を見てみたら、まあまともな青年達に見えます。悪い事の出来る人間には見えない。

30数年前。東商店街を自転車を押して歩いていて、いきなり若者に殴られた事件があった、その近くの路上での出来事でした。

 

昨日は控え目に飲んでいたので、今朝の目覚めは爽やか。朝から歩いて昼寝。

 

都会の夜は、いろいろあって面白い。

追い剥ぎは金輪際御免被りたいけどです。

 

久々の大阪での飲み会。昼間と夜の二組の仲間達。この事はまた次回に書きます。

 

若者の写真、iPhoneからアップ出来ないので今度アップします。

 

 

 


老後の資金

この度、このブログで始めて書いた言葉です。老後資金。

私は、この事を考えていたのは42歳頃まででした。

それまでの私の生活は、仕事、酒、寝る。と言った3パターンのサイクルでした。

以前からここで何回も書いていますが、睡眠は、その頃、平均3〜4時間。あとは、殆ど仕事。

その隙間をみつけて酒を呑む。仕事が一区切りしたら酒を呑む。

私の場合、寝不足とか、寝なければとか言った感覚は無いので、眠気が無ければ儲けもん。睡眠くらい無駄なものは無いと思っていましたから。それは、十代の頃から、いつの間にか身に付いた睡眠観でした。(同級生K君は、高校時代、今でも9時就寝)

睡眠時間8時間。と、世間一般の定説であり、睡眠時間が短いと長生き出来ないとも言われています。

20〜40代の頃まで、私は何時死んでも良いと公言していました。なので、私は50歳までの人生設計しか考えていませんでした。

家族の為にと生命保険は毎月7万円程賭けていました。まさか、この歳まで生きて、老後を考えるとは思ってもみなかった。

私が死んでも。家族が困らないだけの事はと考えての高額生命保険だったのです。

ところが、42歳と言う若さで、2年間の闘病生活の末に妻が亡くなり、私の人生観は大きく変わりました。

家族が長患いをしたら、家族が困る事を実感した事で、極力長患いは避けたい。ピンコロを切望する様になりました。

私は早死にすると思っていましたから、老後の事は考えもしなかったし、残った妻の老後の方が心配でした。

 

私は何があっても病院には行かない主義?でしたが、妻の死後、何かにつけて病院に行く様になりました。

ある日体調が悪いので病院へ行ったら「ただの二日酔いです」と言われた事もありました。

妻は手遅れの末期がんでした。早期発見だったら治っていてかもしれません。

私もそれまで病院嫌いで、40度の熱でも病院には行かない。ただ、ちょっとした事故で、腰の激痛で腰砕け状態になった時は、妻の肩を杖替わりに、病院に行きましたが、もし、このまま一生下半身不随になったとしても、それはそれなりに覚悟を決めて生きていこうと、腹をくくる気でいましたし、そうなった時はと、最悪の自分を想像したりもしました。

ちょうどその頃、盲目のカメラマンとか、口で絵筆をくわえて描く画家とか、障害者の作家も紹介されていました。

妻の死を境に、私の人生観は変わりました。

チョットした事で病院に行く様になり、残った私たち三人はがん保険に加入はしましたが、掛け金の安い掛け捨て。そして、それまで掛けていた高額の生命保険は解約。死んで、金がどれだけ入っても、もう意味が無い。

その頃は、殆どお金にならない陶芸を始めたと言う事もあり、毎月7万円近い掛け金は負担になっていたのです。

ちょうどその頃、私の友人が加入していた保険会社が破綻したり、大手保険会社が保険金未払いなど、保険会社のトラブルの話題が多い時期でもあった事も理由でした。全て解約して月数千円の掛け捨ての、がん保険に加えて、疾病保険に変えたのです。

妻を見て思った事は、癌も早期発見で治る可能性もあったと言う事です。

 

日本人はどう言うわけか、癌による死亡率が高いと言う事。2人に1人が癌にかかり、3人に1人が癌で死ぬ。と、言われています。

私は思うのです。長生きしたいから病院に行くのではなく、どんな病気でも早期発見が肝心。病気になってしまったら厄介な事になる。病気が分かってコロッと死ねたら良いのですが、長患いは周りも困る。

それより早期発見で素早く治すに限ると思う様になった。どうせ生きるなら、健康で生きたい。

病院通いしながら生きるのは嫌だし。ましてや薬漬けにはなりたくない。薬もサプリメントも嫌い。そう言った物との付き合いは極力避けたい。なので、日々の生活では、出来るだけバランスを考えて食べる。これは薬を呑みたくない為に日頃の健康ゲームです。これは、あくまでも自分流。昔からの持論は。身体が欲する物を素直に補給する。これは20代の頃から同じです。

かと言って、私は健康お宅ではありません。自然体で自分の身体に聞きながら、自分に素直に生きる。が、私の健康法と言えるかも知れません。この先は分かりませんが、私はこの方、幸いな事に大きな病気や入院経験も無い。

それは、常日頃の自分の身体に意識?があるからだと、67歳の今になって思うのです。

私の人生観は、もうここまで生きたら十分と、60を越えた頃から思っています。50の頃から、もう余生であると思っていました。

まあ、こんな事を言ってたら、いつポックリ逝くかも知れませんが、ポックリ、ピンコロなら大歓迎。

周りの友人達もよく言いますが「好きな事して来たし、思い残す事は無い」まあそんな仲間が近々集まるのですが、楽しみです。

 

そんなこんなで、私は、40過ぎまで、99%外食でした。妻が末期がんを患うまで、殆ど家には帰っていなかったのです。

事務所と自宅が近かったのですが、仕事が遅く終るので、殆ど毎日居酒屋でした。そして、目が覚めたら仕事。

私はその頃、目が覚めたらすぐ机に向かって仕事でした。

睡眠が短いと短命と唱える医者も居ます。短命とは何歳?平均寿命が男80歳と言う事ですから、60代では短命ですか?

もう一つの常識?、10代の頃はよく、めまい、立ちくらみ、で倒れる事もよくありました。

低血圧は目覚めが悪い?朝に弱い?しかし、私には当てはまらない。

私は30代、フィットネスに通っていたのですが、泳いだ後で血圧を測ったら、上が90台、下が60台と言う血圧でした。(現在60台〜120位)しかし、私はその30代、朝の目覚めはスッキリ。目覚めた瞬間から世間が動き出す9時までが、最高に仕事が捗る時間帯でした。そんな事もあって、殆ど事務所生活でした。

そして、忙しい時には仕事、寝る、食べるだけの生活が一週間以上続く事もしばしばでした。その状態は、仕事を手伝っていた妻はよく理解していました。そんな事もあって”火宅の人”(あくまでも私は仕事で帰れない!)だったのです。

1994年当時、バブル崩壊までの日本は、猛烈仕事人ばかりだったと思います。それが原因で家庭崩壊もあったと思います。

 

猛烈時代をまた詳しく、以前書いた私小説「標刻」(同人誌”人魚”で平成18年発表)のつづきを書きたいと思っています。

 

まあ、そう言った生活の中で、今まで、大きな病気を患う事も無く、健康?で居られたのは、自分に素直に生きてこられた?からではないか?と、最近思うのです。身体が欲するものを食べる。欲しくなければ食べない。

30代半ばまでは殆ど一日一食と酒でした。朝目覚めたら兎に角腹が減るので、即口に何かを入れる。起き抜けに、かなりヘビーな物でも食べていました。呑んだ後は必ず焼肉と言った時期もありました。

さすがに今は、粗食になりました。でも、一日三度は食べます。現状は、いろいろと生活が不規則で、良くない状況となっています。

基本的に自炊。妻が他界してからは、アトリエに籠り、毎日作陶していました。そして自炊です。

 

生きていく上で、最低限どれだけお金が必要か?それを試す為に、週2000円食費生活をした事もありました。勿論、光熱費や酒、米、調味料は別。まあ、食べて生きるだけだったら、月8000円〜10000円で生きていける。その実証体験的生活が今でも基準になっています。自炊は毎日して、食材の補給をして行くので、今の様に移動が多い状況では無理です。

早く田舎に定住して、自給自足の生活。そして、やりたい事がじっくり出来る環境に落ち着きたいと思います。

先月は旅をして、また旅生活がしたいと思っていたのですが、今日、始めて老後資金の実情を検索して複雑な心境に陥りました。

まあ、ポジティブに考えて、私の場合。籠って何かを作る”お宅”が本性なのですから。なければ無いで、それなりに生きる。です。

 

と、まあ、そう言う事で、今まで、老後の資金など考えた事も無く、年金6万円あれば生きていける。と言うのが私の老後資金計画?だったのです。10年後、ましてや30年先を考えてとなると、既に一日人生の積み重ね、明日はどうなる?の歳です。

今までは、老後貧乏だとか老後破産とかネガティブな話は、人ごとの様に書きましたが、老後資金と言った具体的な事は、あえて考えた事もなかったし、ここでも書いた事はありませんでした。自分の実情を知る事から逃避していた?

とりあえず、今借金は無し。辛うじて住む家はある。これからはもっと田舎に行くので、固定資産税も安くなる。光熱費は出来るだけ切約。要するに絶対必要なのは食費。これも、粗食こそが健康の元です。

まあ、生きてる以上、生かさせて頂いている以上、健康でありたい。健康で生きていれば何とか成る。

余分な金が無ければ、健康な粗食生活しか無いので健康維持には最適生活。と、いたってポジティブ思考。

 

ところが、この度、パンドラの箱?を開けてみたら、なんと恐ろしや恐ろしや!

例えば、あと30年生るとしたら、最低3000万円。

えええてな感じです。

まあ、どんな老後を考えるか?ですが。コツコツ貯めて、いざ老後で、いきなり倒れて長患いでも、それ以上あれば大丈夫?。

その後は施設に入る為には、際限無く施設メニューはピンキリあり、どのレベルの施設に入るかは金次第?。

老後資金の額は、様々ですが定説?では、60歳から30年生きたとして、独居で3000〜4000万円。では3000万円以下だったらどうなるのか?60代の平均貯蓄額は1600〜2000万円と言う事の様です。国民年金が30年で、だいたい2400万円(支給額が今のままなら)です。下がっていくと言う事ですが、はてさて?

4000万円ー2400万円は1600万円。平均的貯蓄額あれば、まあなんとか成ると言う事?。

さて、自分はどうかと算盤はじいてみるのですが、まあまあでんなあ?大阪的曖昧さ?来年からそば屋再開必至。

 

とまあ、そんなこんなで、老後老後と振り回されて居るうちに、飲食制限されて、食べたい物も、呑みたい物も好きに出来なくなってしまったら、もう人生は終わったも同じ。その上、身体が動かなくなっては、行きたい所へも行かれなくなります。

早かれ遅かれそうなるのは目に見えています。そして、早かれ遅かれ死んでしまいます。

ボケて、寝たきりになって、自分も家族も分からなくなって、そんな状態になった時の為に、今の健康と体力を活かせず、無駄に生きるのはもったいない。今出来る事は今やる。これからは何があってもおかしくない領域に足を踏み入れたと言う事で、一日人生の積み重ね。目が覚めたら感謝。食べられて感謝。

これ幸いかな、金もなければ体力も無い。だんだんちょうど良くなる。身体と老後資金尽きるまで。FULLからENPTYへです。

我慢して爪に火を灯した末に、何時からが老後?と考えているうちに、老後資金をたっぷり残して、不治の病で倒れた、とある人が言った「あの○千万円を使い果たして死にたかった」と、悔やんでも悔やみきれない?と言う様な話を聞くと、老後の計画はたてられない。

 

これからの30年は体力もお金も減っていく人生。いい塩梅にどちらも消滅して消えていく事を願いたい。残るか?足りないか?

絶対に命は尽きます。考えたところでどうしようも無いけど、ほとんどの人が老後不安で貯蓄する。

使わないでタンス預金。諸説ありますが22兆円とも40兆円とも、中には875兆円と言う数字まであります。何処にあるのか?

しかし、日本中の何処の家にも、大金がある可能性が高いとなると、人ごとながら、ちょっと恐い気もします。

まあ、人生最後に余れば良いが、足りなかったどうしようが不安の種。

もし仮に、身体が動かなくなって、寝たきりで病気になったら、延命治療はいらない。

但し、生きている以上、介護問題が発生します。しかし、生きてるだけの為に食べるのも、いらないかも?

自分も家族も分からなくなって、自分の力で食べられなくなったら、私はもう良いです食事も与えないでください。

衰弱死が自然かも知れない。

困るのは、認知症もなく、食欲があって、元気な?寝たきりが一番恐い。

その状態で、人の世話にならないと生きていけなくなったら、困る。

その介護費用や施設代はいくら?何年間?そんな事を考えたら、もう切りが無いわけで。

 

もう一つ。これから先の10年で、世の中がどれほど変わるか、想像も付かない程変わるかも知れない。

生かされる者と、生かされない者に分けられる時代が来るかも知れない。

 

2015年に報告された医療事故は3653件、その1割弱の352件が死亡(日本医療機能評価機構)ヒヤリ、ハット事故は78万4190件。

医療事故調査、届け出は想定の2〜4割と言う事です。

 

先日観た映画”パッセンジャー”の予告編では、5000人が120年間冷凍人間になって地球を脱出して、新天地の星まで行くと言うストーリーです。

必ず何時か地球滅亡の時、究極の人間選別の時が来る?それは能力か?財力か?

且つて、選りすぐられた優秀な人材を乗せて、戦艦大和は撃沈覚悟の出港をしました。これは生き残る為ではなく、お国の為に潔く死ぬ為の出撃でした。

 

前にも書きましたが、尊厳死が認められているスイスに行けば、70万円で合法的に安楽死してくれます。

究極の終活。なんとか動ける間に、スイスに行くと言う選択肢もあります。

スイスに行って、ギリギリまでチーズフォンデュやら、あの、旨い白カビのサラミでしこたまワインを飲んで。最後の贅沢三昧の不摂生をして、ワイングラス片手に……。と言うのもなかなか粋な最後ではと思います。

這ってでもスイスに行けば良い訳ですすから。

老後最後の虎の子は70万円とスイスまでの片道切符。そして死ぬ程呑んで喰って、贅沢三昧として?万円。

 

友人B氏の父上は、スペインの酒場でテキーラを一気呑みしたあと、笑いながら倒れて逝ったと聞きました。

 

こんな、終活を想像してしまう今日この頃でございます。

葬式はいらない。それから、せっかく作った墓があるので、骨だけ送って頂こう。

持参した骨壺に、送り先住所も書いておこう。TO JAPAN

 

そう言えば、私が陶芸を始めたきっかけは、日常の食器を作ろうと思ったから。そして、妻の仏具を作りました。

いま、また、骨壺を作るブームらしい?

 

いやあ、今日もまた書きっぱなしのブログ。誤字脱字。今日もご訪問有り難うございます。


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